NAUGHTY BOY KING OF ROCK'N ROLL 忌野清志郎 + 有賀幹夫写真展


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The Rolling Stones

このサイトをみてくれている方の多くは僕とローリング・ストーンズとの
関わりはご存知のことと思います。

改めて簡潔にまとめてみます。
89年末、作品オーディションにより翌90年の初来日の
オフィシャル・フォトグラファーに決定。
この時の権利条件等ですが、
マネジメントにより選ばれたOKカットの所有権は
日本国内では有賀幹夫にあり(日本国内では自由に取り扱うことが可能)、
海外ではローリング・ストーンズが管理するというもので、
現在まで変わらず継続しています。

初来日である「Steel Wheels ツアー」以降95年「Voodoo Lounge」、
98年「Bridges To Babylon」、03年「LICKS(武道館!)」、
06年「A Bigger Bang」とすべての来日公演(09年現在)と
USオンリーの99年「No Security」でオフィシャルとして撮影。
マネジメントにより選ばれたカットはローリング・ストーンズの制作物に多数使用。
(オフィシャル・ブック「LIFE ON THE ROAD」、「ACCORDING TO THE
ROLLING STONES」、95年以降のツアー・パンフレット、
Mick Jagger とKeith RichardsSのオフィシャル・サイト、
Charlie WattsとRon Woodのソロ・アルバム等)
ミックのゴー・サインからのマネジメントの協力のもと、
自身制作の公認ライブ写真集を07年に刊行。

よくオフィシャル・フォトグラファーに選ばれたきっかけを教えて欲しい、と聞かれます。
説明すると長くなることもあり、一言「ものすごくラッキーだったから!」と答えています。
実際ストーンズのような巨大な海外のバンドに関われるということは
運が良かったとしか言えません。
もちろん写真をはじめた時(20歳頃)の目標は「いつかローリング・ストーンズに
辿り着くぜ!イエ〜イ!」という大それたもので、
よく友人にそんな話しをして笑われました。

この時期(80年代初頭)ローリング・ストーンズは『START ME UP』の大ヒット
と共にアルバム、欧米ツアーを大成功させますが、その後急速に活動を
スローダウンさせることになります。
80年代半ばにはミックとキースの不仲もあり解散手前までという状況に。
僕はといえば現像所で働いたりしながらライブ・ハウスなどで写真を撮っていました。

そして88年のRon Woodとの出会いから彼とBo Diddleyの
USツアーへの参加,
ジャパン・ローリング・ストーンズ・ファンクラブ会長の池田祐司さんとの出会いと
89年のニューヨークでの記者会見スクープ撮影が大きくオフィシャル決定への
流れを作りました。
ローリング・ストーンズも80年代半ばからの沈滞ムードを脱し大きく再出発をする
というこの時期、新たにスタッフを集めたわけですが丁度僕もその中に
入れたということです。

この時期以降現在までツアーの制作等は基本的に同じ組織、スタッフです。
僕の思いと状況、ローリング・ストーンズが外部に対して門戸を開く時期、
そして初来日という要素がひとつにつながったわけです。
謙虚にも尊大にもなるつもりはありませんが、全ての来日公演で毎回
オフィシャルとして採用されているということは90年に選ばれたというチャンスから
いつも良い結果をだしてこれたから、ととらえています。
話しがかたくなってしまいましたがライブ写真の一枚一枚にそんな流れや思いがあることを
このような場で述べておくのもアリかと思います。

一方ファンとしては73年のアルバム『山羊の頭のスープ』からです。
歌謡曲やフォークが全盛の当時、唯一の洋楽の番組「ヤング・ミュージック・ショー」
で見ることができた彼らのパフォーマンスがあまりにすごかったのです。

今後は発表が制限されている(ローリング・ストーンズ側の使用優先)
リハーサル等の良いカットがあるので、
それらを世に出したいです。